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**  今、という美しいバランス
昔、わたしの中でマクロビオティックが「規則」になっていた頃がありました。
そのときは、毎日がとても息苦しかった。
「~しなければ」、「~すべきだ」、の連続。
生活のあらゆる場面が決まりごとで埋め尽くされていたのです。

マクロビオティックは、法則であって規則ではない。
陰陽という概念は、確かに存在するものだけど(とわたしは思う)、
それは誰かを裁いたり点数をつけたりするためのものじゃない。
そういうことがわかるまでに、随分長い年月がかかりました。

なぜ、わたしはマクロビオティックを「規則」にしてしまい、
がんじがらめになってしまったのか。
その根本にあったのは、「自己否定」という感情だったと思います。




 
今の自分はダメだから、足りないから、完成されていないから、
もっと良くなるためにいい食事をしなくちゃ。
ずっとそんな風に、何かに追い立てられながら生きていました。
今日はどんな食事が出来た?100点取れたっけ?
いやダメだ、あれも食べた、これも食べてしまった…
あるいは内容が良くても、量を食べ過ぎてしまった、腹八分じゃなかったから、ダメだ。
そんな風に、一日の終わりに自分を採点する癖がついていました。

でもこれって、端から不利な勝負だったのです。
わたしは始めから、いい点数なんてつける気が全然なかった。
加点法ではなく、減点法。
どんなに出来ていても、何か粗探しをして「自分はダメなんだ」と思おうとしていた。

思えばこれは、マクロビオティックを始める以前からの習慣でした。
それまでは頑張る対象が勉強だったり、生活態度だったりしたものを、
「マクロビオティック」に置き換えただけだったのです。
(いえ、そんなに何かを頑張ってたのは、病気になる直前だけだったんですけど・・・・)

冷静に見れば、自分をいじめたいだけの不毛な行為。
けれどその頃のわたしは、
「そうやって自分を責め続けていなければ、自分はだめな人間になってしまうに違いない」
と心の底から信じていたのです。
そういう生活は、苦しいけれど同時に達成感もありました。
ちゃんとやれば、自分を認めてあげられるから。その達成感がご褒美だったのです。
でもそれも、次の日にまた「良くないこと」をすれば、簡単に覆るようなかりそめのもの。

ハードルを高くすれば高くするほど、自分を褒めてげあられると思って、
きりきりきりきり、一生懸命にぜんまいのねじを巻くのです。
予定を入れられるだけ入れて、限界ぎりぎりまで動き続ける。
それをこなせば自分を褒めてあげられるから。
誰からも認められるような立派な一日を過ごさなくては。
なんだかそんな気持ちだったんだと思います。
そして、それだけが正しい生き方なのだと信じていたのです。

けれど時折、そういう自分に違和感を持つ場面がありました。
例えば、誰かに否定されたとき。
仕事上の事なんかで怒られたり、がっかりされたりするとき、
自分でもおかしいくらいに動揺してしまうのです。
なぜ?と突き詰めてみると、わたしはどうやら誰かに失望され、
見放されるのが死ぬほど怖いらしい。
誰かに「あなたはすごいよ」「素敵だよ」と常に言ってもらい続けなければ、
自分が罪を犯しているような気持ちになってしまうのです。
それは、「誰かに嫌われる自分」が自分で認められないから。

おかしいな、と思いました。
だってまさか、みんながそんな風に他人からの評価を気にして
びくびく生きているわけじゃないだろうから。
そんな風に生き続けていくのは、やっぱりちょっと無理があるだろうから
もっと別の感じ方や生き方がきっとあるはずなんだ、と漠然と思っていました。

そして、「何もかもを完璧にしよう」という癖は、他人にも向くのです。
例えば、マクロビオティックを実践していない周囲の人への感じ方。
目の前に、明らかに「良いもの」があるのに、それを実行しようとしない。
存在を知っていても、やらない。
なぜ?と、その頃はかなり真剣に悩んでいました。
みんななんで真実を看過して、平気で過ごしていられるの?って。

今なら、「そんなの相手の自由じゃん。相手がやらないのがイヤなら
自分から離れればいいし、それでも友達でいたいのなら気にしなければいいのに」
って思います。過去の考え方がかなり鬱陶しく感じます。
というより、何を食べているか、で誰かの価値を決めようとするなんて傲慢すぎますよね。

ほんと、誰が何を食べるかなんて自由。
わたしたちは自分の自由意志でここに立っている。
自分が好きなように考え、振舞って、その上でたまたま同じ方向を見て距離が近い人と
友達になるだけ。相手の見る方向を無理矢理変えさせたりすることはできないもの。
相手から影響を受けて変わることもあるけれど、それだってきっと「自発的な変化」で
決して盲目的に相手の言うとおりにしたり、価値観をそのまま受け入れたりするはずない。
誰の心も自分のものになんかできない。
でもだから、人間同士って面白いし、他人と知り合う意味がある。
なんでも言うこと聞いてくれるだけの人なら、誰でもいいもん。

(とはいっても、別に「マクロビオティックを周囲にに勧めるのは間違い」、
という話ではないですよ。わたしだって、叔父に勧めましたし。)

話がちょっと逸れましたが、とにかく、わたしは当時の友人に対して
すごくすごく意地悪な気持ちを抱いていたのです。
例えば目の前で、誰かがお肉や添加物、砂糖たっぷりのものを食べるのを見るたびに
「やめさせたい」という気持ちと、「でもそんなわけにはいかない」という理性とがせめぎあい。
でもその相手は、自分よりもずっと人間的に穏やかで、性格も良くて、スマートで肌もきれいで。
そうなると、自分が一生懸命毎日の生活を正している意味がなくなるのです。
打ち砕かれてしまうのです。なんとか築いてきた、ほんのささやかな自信が。

「わたしが間違っているの?」
そんな気分になってしまう。
そうなると次に来るのが、すごく意地悪な考え。
「この人、今のままで行けばいつか身体を壊してしまうかもしれない。
今は良くても、いつかひどい目にあうかもしれない」
いえむしろ、そこには「身体を壊してしまえ」という意味さえ込められていたと思います。
自分がこれだけ頑張っているのだから、頑張っていない人にはひどい目にあってもらわなければ
自分の心のバランスが取れない、と思っていたのです。

でも同時に、そんな風に考える自分に違和感がありました。
だって「誰かが病気になればいいのに」と願っているなんて、絶対に絶対におかしい。
それこそ本当に不健康で、どれだけ身体が良くても、そんな後ろ暗い気持ちを持っていれば
意味なんかない…というか、余計に性質が悪い!
同じようにマクロビオティックをやっていても、そんな風に他人を否定していない人は
いくらでもいるのに、どうしてわたしはこうなんだろう?

それが、入り口でした。
「自分のものの考え方がどうやら歪んでいるらしい」、という気づきへの入り口。
それからわたしはいろんな本を読み漁ったり、心理学の知識を仕入れてみたり、
日常生活でのたくさんの違和感を入り口にして、自分の奥へと更に深く入ってみたり、
あるいはスペシャル・ケアとしていろいろな人の力を借りたり。

そんないろいろを経過して行く中で、マクロビオティックが「法則」であることを
段々と理解というか、体感できるようになっていった気がします。
単なる決まりごとではない。
もっと柔軟で、生活に密着していて、身近で、自由に選べるもの。
できるとかできないとか、そういう観点で語るようなものではないこと。
そして何より、もっともっと生活を楽しむためのものなのであって、
毎日を縛り付けるような、冷たくて高いところにあるものではないということ。

確かにね、食事の力ってすごいです。
口から実際に体内に取り入れるものだから、ダイレクトに作用する面が大きい。
質の良い食事を摂ることは、あらゆる人にとってプラスになることだと思います。

でも、「今の食事は全然マクロビオティックじゃないんです。良くない食事なんです」
という言葉を聞くと、なんだかものすごーく違和感があるのです。
そう言いたくなる気持ちも、とってもよくわかるんですけど。
「良くない食事」と言っても、それは間違いなく今の命を支えてくれているもの。
わたしも幼い頃からずっと、マクロビオティック的にNGだらけの食事をしてました。
ジャンクフード、インスタント、化学調味料、チョコレート、砂糖。
ごはんもまともに食べず、そんなものばかりで毎日を過ごしてました。
そんな色々なツケが溜まりきったのか、17歳という若さで慢性疲労症候群にかかり
寝たきりで動けなくなってしまったわけですけど。

けれど、最近良く思うんです。
それでも生きていられたのってすごいなーって。
あの状況でなんとか頑張ってくれた身体もすごいし、
それまでだって一応最低限命を繋ぐだけの栄養素は摂れていたわけだし、
そして食べ物に救われて、もうどうにもできないところまで落ちてしまっていた生命力も
少しずつではあるけれど回復に向かっていったわけです。
人間の生命力ってすごい。
そして、望ましい形ではなかったのかもしれないけれど、
わたしの身体を17歳まで維持してくれたのって、やっぱり当時の食べ物だったのだし。

幾つからだって、間違いなくやり直せます。
何を食べてたって、今現在生きている以上、ほんとうに儲けもんだって思います。
否定しないでいたいです。何ごとも。
「いいこと」「悪いこと」を作り出しているのって、自分の心なんだと思うから。
何かの善悪を決めるよりも、「自分にとっての望ましいもの」を見つめたい。
そうすれば、あらゆるものは「自分の欲しいもの」と「それ以外のもの」になるから
「悪いこと」を作らなくてすむし、何かや誰かのことを否定しなくても大丈夫だから。

この世にはたくさんの人がいて、人それぞれのいろんなバランスで存在している。
たぶん、そのときの自分にとって最適なバランスを選択しているんだと思います。
そしてみんなその自分のバランスの取り方に満足していたり、
あるいは「もっと良くなれるはず」って不満を抱いていたりするみたい。
でもそのバランスの多様性が、わたしにはとても面白い。
どのバランスだって、そうやってそこに存在せしめている以上、
ひとつの完璧なかたちなんだと、いつも思うんです。

その完璧さは、わたしの目にはいつも美しく映るんです。
たぶんみんな、自分の体現しているバランスの美しさを知らないんだろうな。
いろんな方向の美しさがあります。
さまざまな人と知り合って、それをひとつずつ発見していくのは、
いつもとても素敵な作業なんです。
by macrobi_pirico | 2009-03-31 17:41 | 考えごと
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CFSをきっかけに、マクロビオティックを始めました。こころとからだになみなみならぬ興味を持っています。by文(Aya)
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