Top
**  わたしが・肉を・食べない理由
わたしが動物の肉を食べないのは、
動物たちがかわいそうだから。

…では、ありません。

わたしが動物の肉を食べないのは、その方が自分が心地良いからです。
化学調味料を避けるのと全く同じ理由。
乳製品や卵、魚介類なんかを食べないのも同じ。

一度食べなくなってみると、食べないことの心地良さがわかってしまって
今の自分には、特に必要のないものだったんだなぁと思っているだけ。
だからもう、なんとなく「食べもの」として認識していないのですよね。
食べる人もいる。それはそれでまぁ、いい。
でもわたしは食べない。欲しくないから。必要ないから。

動物を食べないことが、畜肉産業にお金を払わないことに繋がって、
そうなると無駄になる動物が一匹でも減るかもしれない、
つまり無駄になるというのは、生まれてから死ぬまで、朝から晩まで狭いところに詰め込まれて
最悪な環境で生きた果てに工場で「処理」され、命乞いをしながら死んでいき
きれいにパック詰めされてスーパーに並んだり、散々加工されて外食産業で使われて
それでも余って捨てられてしまう、という状態のことを指すのですが、

そういう命を無駄にしないことに、「結果的に」繋がるのは、よいことだと思います。

それから、肉食を減らすことで世界の飢餓が減らせる、ということも。
(動物の飼料である穀物を世界に供給させ、植物性中心の食事に切り替えることで
食料問題は解決するのではないか、と言われているのですよね)

それ自体はとても素晴らしいことで、
自分の選択がちょっとでもいい方向に働くことを考えると
「うんうん、よかったなぁ」と素直に思えるのですが、
でもそれがわたしの「食べない理由」にはならない…のですよね。

地球にいいからとか、自然に優しいからとか、世界のためになるからとか、
そんな理由ではわたしは行動できない人なのです。
食べない方が、自分が心地良いから。そういう理由で動物を食べないだけ。
そう、「エコ」ではなくて、まさしく「エゴ」の人なんです、わたし。



そもそもわたしは、「エコなんて…ハッ」って側の人間なんです。
マクロビオティックを始める前も、始めてからちょっとの間も、そんな感じで捻くれてましたね。
なんか、そういう「地球規模の正しさ」とか「正しい思いやり」とかを
振りかざすこと自体に、嫌悪感を感じていたんです。

今はそう思ってないですよ。以前の自分が、勝手にそう感じていたというだけ。

なぜなら、わたしにとって「地球にいいこと」「世界のためになること」は
ひたすらめんどくさいだけのことだったんです。
ゴミの分別なんかも人が勝手に決めた面倒くさいルールに過ぎないし、
水にしろ、資源にしろ、いくら自分が節約したってちょっとの量しか節約できなくて
そんなことが一体なんの役に立つのか。
「いや、一人一人が意識を持って行動することで変わるんだ」とか言われても、
目の前にすぐ結果の出ないことに、面倒くさい思いまでしてやる意味があるのかどうか
自分で実感できない。だから、行動する気も起きない。
そんな人でした。

それが、マクロビオティックを始めて2年くらいしてからでしょうか、感覚が変わってきたのは。

「エコ人間になってたまるか!」と思って、一生懸命「いい香りのする」シャンプーを
使い続けていたのですが、ある日、とうとう耐え切れなくなってしまったのです。

「クサイし、ぬるぬるしてキモチワルイ…」

いい香り、とずっと思っていたのが、段々と不自然な、
鼻を突くような刺激臭に感じられてきたのです。
それから、流した後も背中に残るぬるぬるした感じが嫌い。背中にニキビも出来るし。
髪も、なんだか表面だけがつやつやになるだけで、手触りが嘘っぽい。
見た目とかはすごくきれいになるんだけど、なんとなく乾燥してパサつく…

ずっと当たり前だったことが、段々と不快になっていく。

そんなわけでわたしは合成シャンプーをやめて
髪のお手入れについていろいろと模索を始めるのですが(その過程はまたいつか)、
心中は大変複雑でした。
だって年頃ですもの、「いい香り」のするシャンプーを使わなくなるということが
なんとなく寂しくて。
「愚かな寂しさですよ」と言われればそうだけど、それがわたしの実感だったのです。

でも一方では、あの刺激臭やぬるぬる感から解放されて、
ああもう気持ち悪くない…!とものすごくホッとしたのでした。
そしてふと、思いを馳せるようになったのが排水のこと。

そういえば、今まであのぬるぬるしたものとか、ニオイの成分とかを全部水で流してたんだなぁ。
…その水は、結局めぐりめぐってまた誰かが、あるいは自分が使うんだよね。
ちゃんと分解とか出来るのかな、いやそもそも、塩素なんかで消毒したとして、
その水が「以前とまったく同じ質のもの」になるのかな?
自然に存在しない「不自然な化学物質」が溶けた水、なのに…。

とかね、思っちゃうわけです。不思議ですね。

そもそも水のことをちょっと実感できるようになったのも、料理を始めてからかも。
例えば、お米を洗うとき。
当たり前のように水を使って、研ぎ汁を流す。
玄米だから洗うのに必要な量は白米に比べてかなり少ない…とはいえ、
やっぱりかなりの量を、お米を洗うためだけに使っているわけです。
この場合は化学物質なんかを流すわけじゃないからシャンプーとは影響は違うにしても
やっぱりかなり贅沢な使いかただなぁ、とか思うわけです。
水の乏しい地域からしたら、考えられないような贅沢な使い方。
水が豊かで美しい日本ならではの食習慣なのだなぁ、としみじみ思います。
蛇口を捻れば水が出る状態であれこれ言ってんのも相当甘えてるんでしょうけど。

そしたらね、やっぱり使いすぎないようにしようかなって思うんです。自然に。
このお水も、めぐりめぐって自分のところに還ってくるもの。
そして水はやっぱり、限られた資源であること。大事にするにこしたことはないってこと。
そういうことが実感できてしまうと、今度は逆に
必要以上に水を汚したり、使いすぎたりするほうがなんとなくキモチワルイなぁと思うわけです。

そういうことの積み重ねで、なんだか少しずつ、
「地球に優しいことは、自分に優しいこと」だとか
「自分によいことが、地球に対してもよいこと」だという感覚を獲得していったわけです。

だからね、しょっちゅう思うのは、環境問題について取りざたされるときに、
ことにテレビでは、「もう地球がめっちゃ大変!」って煽り立てるわけですよ。
そしてキャスターが真面目な顔で、「今すぐに、わたしたちが行動することが必要です」とか
いかにも正しさの権化のような感じで言っちゃうわけです。
その人だってまぁ用意された原稿を読んでるだけなのだろうけど。
でもそういう、「正しい行動が必要」という切り口で、世界がそんなにも変わるのだろうか。
わたしはそれが常々ギモンなのです。

そういうのを見て、「よし、明日からは行動を変えよう!」と決心して
実際にそれが継続して続けられる人って、わりとごく一部だと思うんです。
地球の痛みを自分の痛みだと思えるくらいピュアな人は大丈夫だと思う。
でも、わたしみたいにめちゃくちゃ鈍感ですごい自分勝手な人には難しい。

いくら地球規模の正しさを持ち出されたって、
実際の生活ではお肉なんてスーパーに所狭しと並んでいるし、
水だって蛇口を捻ればじゃーじゃー出てくるわけです。
そんな実感できない中で、「君の行動は世界に悪影響を与えている!」と教えられても
「そうだったのかー!」って反省するのはやっぱり難しい。
そもそも地球規模の正しさという莫大なものなんか、もう、実感しようがないわけです。
ある日突然、「あなたが死ぬことで地球のためになるんです」とかって
警察に追いかけられるようになったって(まるで映画のように)
誰だってやっぱり逃げるでしょう。自分が生きるために。

結局、わたしたちって自分にとって「快」であることしかできない生きものなんだと思う。
少なくともわたしは、自分についてはしみじみそう思う。
わたしってすごい自分勝手だなぁ、自分が気持ちいいことしか頑張って出来ないもんなぁ、と。
エコが大事って知ってたって、まだまだ無駄は多いし、パソコンだってガンガン使う。
肉を食べてないとか、水を節約するように心がけているとかそんな程度では
とてもエコ面できないくらいの量の電力を消費しているに違いない。

だから長々と書いてるけど一体何が言いたいの!って感じだけど、
要するに、「正しさ」ではなく「心地良さ」を基準にしようよ、と言いたいだけ。
そしてわたしは自分の心地良さを大事にしているから、
お肉が大好きで食べまくってる人とか、水をガバガバ使う人とかに対して
「あなたは地球の破壊に貢献してるんですよ!」とか言えないし、思えない。
だってそれがその人にとって心地良い状態なら、仕方ないもん。
そう簡単に、「正しさ」を振りかざせない。
だって正しいものって、個人によって全然違うものだから。
「何かを悪いと云うのはとっても難しい
 僕には簡単じゃないことだよ」(『透明人間』/東京事変)
って歌詞があるけど、本当にそうだなぁと思うのだ。
わたしだって誰かにとってみれば悪の権化みたいなヤツに見えるのかもしれないし。
むしろ正しさが正しさとして、とりすました顔をして君臨しているときほど
それを疑う必要があるのではないか、と思っている。

でもね、やっぱり思う。
少しでも地球にとってよいことが、自分にとってもよいこと…だと感じる人が
増えてくれればいいなぁ、と。
わたしが変化したみたいに、そういう変化は自然に、ゆるゆると起こせるものだと思う。
わたしの場合は、きっかけは病気で食生活を変えたことから始まった。
食べるものを変えることで、感覚そのものがごっそりと入れ替わってしまったから。
きっかけはなんでもいいのだと思う。
それこそテレビの特集でも、病気でも、身近な大切なものの喪失でも。

ただあらゆるものにとってやさしい選択が行われることが、
「正しさ」なんて冷たさを超えて、誰にとってもあたたかなことであるという
その心地良さを、誰もが素直に感じられればいいなぁと願うのです。
いや、やっぱり動物とかもかわいそうだし。(って心ももちろんある、当然ある。)

※もちろん環境運動なんかをされている方のことは、尊敬しています。
 自分にはとても出来ない「お仕事」だなぁと思うので。
[PR]
by macrobi_pirico | 2008-07-29 00:52 | 考えごと
<< 最近のご飯 + 簡単おやつ 最近のごはん >>



CFSをきっかけに、マクロビオティックを始めました。こころとからだになみなみならぬ興味を持っています。by文(Aya)
**links**
フォロー中のブログ
ヒビノウタ☆
楽しむ空間「クラム」 趣...
DOWN TO EARTH 
日々の食べ物、からだの声
Favorite Days
かぞくdeマクロビ 
まあるい、毎日。
**FUWA*ふわ*FU...
素直にありのままに・・・
カテゴリ
全体
ごあいさつ・お知らせ
おうちご飯
マクロビスイーツ♪
マクロビあれこれ
酵母ちゃん
お料理教室
日々のこと
おそとご飯
病気、慢性疲労症候群のこと
ホメオパシー
からだやこころのあれこれ
KIJレポート
考えごと
raw + living food
低血糖症
以前の記事
2011年 06月
2010年 10月
2010年 06月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧